俺じゃなくても売れた。でも、俺じゃなきゃ“ここ”までは来れなかった。この先越えていくにはあなたが必要です。

俺じゃなくても売れた。でも、俺じゃなきゃ“ここ”までは来れなかった。この先越えていくにはあなたが必要です。

僕の名前は、山本 崇一郎。
この名前、実は親父が「本田宗一郎みたいになってほしい」って願ってつけてくれた。

親父は昔、大阪・泉州でニット工場をやってた。
1990年代前半、通販カタログを使って、製造から販売まで全部自社でやる――
今でいうSPAやD2Cの先駆けみたいなことを、もうやろうとしてた。

でも、投資した矢先に交通事故で亡くなって、事業は終わった。
当時の僕は小学3年生。夢を引き継ぐなんてレベルじゃなかった。
何が起きたのかもわからないまま、大切なものが目の前から消えた。

あのとき以来、夢を見るのが怖かったのかもしれない。

 

“安定こそ正義”の時代。
僕はただ働いた。
誰かのための品質管理。誰かのための貿易。誰かのためのものづくり。
でも、「挑戦させてくれる場所」だったから、続けてこられた。

ところが、コロナが来て会社は赤字に転落。
一気に組織が保守的になっていった。
チャレンジの風土がなくなって、僕が惚れた会社じゃなくなっていった。

それでも、僕はまだ成長したかった。
だからより成長できる環境を、もっとチャレンジできる場所を求めた。

そして独立して、最初はアパレルを始めた。
でも――出会ってしまった。TARUBARに。

ウイスキーを“自宅で熟成”できる。
本物の酒樽から生まれた、たった1本の木の棒。

初めて見た瞬間、思った。
「うわ、なにこれ。やばい。」

気づけばTARUBARのことしか考えられなくなっていた。
仕入れて、使って、語って、売って――
いつのまにか、それが僕の“一番続いてる仕事”になってた。

 

でも、正直に言う。
TARUBARって、僕じゃなくても売れたと思ってる。

だって、プロダクトが本当にすごいから。
僕が売ったんじゃない。TARUBARが選ばれたんだと思う。

 

でも――
「好き」って気持ちだけは、誰にも負けたくない。

誰かの夜が、TARUBARで特別な時間になること。
それが嬉しくてたまらなくて。
この「好き」を、僕は一生かけて育てていきたいと思った。

 

今僕は、
発注も、配送も、広告も、ページ制作も、デザインも、商品開発も、
全部ひとりでやってる。
それは誇りでもあるけど、ここから先もっと特別な時間をシェアするために
TARUBARをもっと成長させるために

僕は、今、藤沢武夫を探してる。

 

本田宗一郎みたいに夢ばっか語る僕を、
支えてくれる人。
派手じゃなくていい。表に出なくていい。
でも、誰よりも冷静で、誰よりも信じられる人。

「売上より、信頼」
「正解より、本音」
「目立つより、続ける」

そんな価値観を、隣で信じてくれる人。

 

実は僕、堺のスタートアップ支援プログラムに参加してた。
まわりはみんな、すでに事業をやってる人ばっか。
僕とTARUBARだけ、ゼロからの参加だった。

まわりがまぶしかった。今でも、そう見えてる。
正直、妬みもひがみもあった。
でも、みんなの熱に感化されて、僕も「もっと成長したい」って思った。
絶対に負けたくないって思った。

そしてここまで来られたのは、TARUBARに共感してくれた人たち、ファンたち、
一緒に挑戦してくれた仲間たちのおかげやと思ってる。


このブログでは、すべては語りきれない。
でも、もしここまで読んでなにか感じてくれたなら――

「この人、ちょっと気になる」
「TARUBARって、面白そう」
「なんかわからんけど、共感した」

そう思ったら、一度、話してみませんか。

僕は、あなたとTARUBARを育てていきたい。
TARUBARがどれだけ進んでも、ずっと挑戦し続けていたい。
「ベストはまだだ」って、常に言える場所でありたい。

その先へ、一緒に行こう。


これ読んでくれたあなたがそうであれば嬉しい。
あなたの近くにそういう人がいてるなら紹介してほしい。

メールでもLINEでもInstagramでも。連絡待っています。

ブログに戻る